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2008/11/07

伝説 「松浦佐用姫(まつら さよひめ)」

唐津地区には日本三大悲恋物語の一つ「佐用姫伝説」が残っています。
因みにあとの二つは、羽衣伝説、浦島伝説。浦島の代わりに竹取物語だという説もあるらしい。

で、松浦佐用姫伝説とは…。

537年(宣化2年)、朝廷の命により朝鮮半島の任那、百済の救援に派遣された武将・大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は、出帆の準備を整えるため松浦の地でしばらく過ごすことになりました。
そこで出合ったのが土地の長者の娘・佐用姫(だから「松浦の佐用姫」→「松浦佐用姫」)。若い二人が恋に落ちるのに時間はかかりません。

それでも出帆の時は訪れます。

別れを惜しむ佐用姫は軍船を追いかけ、ついに加部島の小高い丘の上まで辿りつき、大きく領布を振ります。
しかし船は飛ぶ鳥のように去っていき、佐用姫はただ泣き続け、悲しみのあまり石になったと伝えられます。

加部島のこの小高い丘は「天童岳(てんどうだけ)」といいますが、佐用姫が伝い登ったことから「伝登岳(でんどうだけ)」とも呼ばれていたようです。

また、佐用姫が化した石は「望夫石(ぼうふせき)」と呼ばれ、加部島の住人たちの願いにより、『佐用姫神社』に祀られています。

さて。

石になるなんて「ま、まさかっΣ(・ω・ノ)ノ!」ですが、唯一分かっていることがあります。

この三大悲恋物語といわれる話のうち、この佐用姫伝説だけが実在した人物の話です。

つまり、いくらでも加工してあるでしょが、どうやら「事実を元に」してあるお話なのです。

2007031943写真は、佐用姫広場横の駐車場に建つ佐用姫像です。

天童岳には唐津焼で造られた佐用姫の陶像もあります。

陶像制作にまつわる話と、事実を基にした、より実話に近い(だろう)別の展開は、また別の機会に(* ̄0 ̄)ノ

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